毎日家事をして、たまに仕事に行ったりもするこの生活に、すっかり慣れてきたクリアーだったが、最近少し、気になる事があった。
朝食を済ませ、部屋に戻ったクリアーが窓から外を見ると、遠くにロストの姿を発見した。
「あ……ロストだ。……そっか、スロウとリーフが居るんだから、ロストも当然この街に居るよね……雷の日以来、ロストとは話せてなかったけど……急にお話し終わらせちゃったし…………よし」
部屋を出て、クリアーはロストが居る場所に向かった。
「クレアは今日も元気そうだったな……」
クリアーを監視に来ていたロストは、今日は賞金首の情報収集をする予定だったので、相手の様子を少し見たあと、役場に移動しようとしていた。
そのままゆっくりと歩いていると、急にフローラルの香りが漂ってきた。
「……む? ……クレアの香り?」
ロストは鼻を動かし、匂いの元を探そうとした。
「ロスト」
「!!」
背後から声がしたので、勢いよく振り返ると、そこにはクリアーが立っていた。
「クレア……」
(……ビックリした……賞金首との戦闘中でも、こんなに驚いた事はないぞ……さすがクレアだ……)
激しい動悸を隠しながら、ロストがそう考えていると、相手は近づき、緊張した様子で話し始めた。
「あの……この間は……座談会……誘ってくれたのに……途中で終わりにしちゃってごめんなさい」
「ん?」
今度は不安そうに俯いて、クリアーは続けた。
「その……ボクの記憶……戻ってほしいんだけど……戻るの怖いって言うか……それで……」
そう言ったクリアーを見つめながら、ロストはぽつりと答える。
「……そうか」
少し寂しそうな声を出され、クリアーは焦って顔を上げ、叫んだ。
「ロストが嫌とかじゃないよ!」
「!」
再び俯き、頭に手を添え、クリアーは言葉を、一生懸命整理しようとした。
「嫌とか良いとか……そういうんじゃなくて……えっと……」
その様子を見たロストに、ある考えが浮かんだ。
「……クレア」
「……何?」
ロストはハッキリとした口調で言った。
「お前が怖いなら、私は待つ」
「え……」
目を見開いてこちらを見つめるクリアーを、真っ直ぐ見つめ返しながら、ロストはさらに力強く続けた。
「記憶が戻るのを、待つ」
「ロスト……」
ロストはふと、優しい笑顔になり、クリアーに一歩近づいた。
「だから、こうやって偶然会った時は、世間話でもしないか?」
友好的なロストの態度に、クリアーは安心し、とても嬉しくなった。
「え……うん!」
「良かった」
「ボクも! 良かった……」
クリアーはロストに、嬉しそうに微笑んだ。
「うむ」
ロストも同じように微笑み、互いに笑顔で見つめ合う。
「そういえば、こないだスロウとリーフにも会ったんだよ!」
「ああ、会話をしたと聞いた」
そう答えるロストに、クリアーはテンションが上がった。
「うん! スロウとカフェで食べたケーキ、美味しかった!」
「は?」
それを聞いたロストは、表情が一転し、ひどく驚いた顔をした。
「え? …………あれ?」
急に相手の雰囲気が変わった事に、クリアーは違和感を持ったが、ロストは眉間にシワを寄せて、話を続けてきた。
「スロウとカフェに行ったのか??」
「!!」
クリアーはあの時リーフに言われた、遊ぶ事は黙っててほしい、という言葉が、脳裏をよぎった。
(あれえ!? てっきりロストに詳しく言ってると思ってたけど、まさかロストにも遊ぶ事、内緒だった!?)
スロウは普段なら、きちんとロストに全てを報告していたのだが、デートしたとはさすがに言いづらくて、会話をしました程度しか、内容を伝えていなかった。
「えっと! リーフと三人で遊ぶ予定だったんだけど! リーフが用事ができて! 二人になっちゃって!」
ロストの怒っているような不安そうな態度にクリアーは焦り、慌てて説明をした。
「……そうか」
顎に手を当て、ロストは何かを考えているようだった。その様子を見て、クリアーは思う。
(ロストって……自分の仲間が他の人と仲良くしてたら……ヤキモチとか……焼くのかな……)
ロストは顎に当てていた手を降ろし、クリアーを見た。
「スロウは信用している。また何か機会があったら、遊んでやってほしい」
「え……うん」
(ヤキモチ焼いたりは……しないんだ……スロウだから?)
クリアーがそう思ったあと、ロストはゆっくりと言った。
「できれば、私とも」
「!! えっと! ロストはその! えっと……」
ロストに対して好きにしていいとはコールに言われていたが、コールとロスト、二人の関係を考えると、さすがに個人的に遊ぶのはどうかと思ってしまい、クリアーはどう伝えればいいかわからず、声を出さずに口をもごもごと動かした。
「…………わかった。今はいい」
淡々と、ロストはそう答えた。
「ごめん……」
断った事を気にし、しょぼんとしているクリアーに、ロストは優しく言った。
「いや、デートはできなくとも、話をしてくれるなら、それでいい」
そう返してくるロストを見つめながら、クリアーは思った。
(デートって言った……ロストはクレアを……友達じゃなくて、女性として好きだったんだよね……多分……)
クリアーは、胸元の赤い宝石を握りながら続けた。
「お話はできるよ……過去のお話は……まだそんなに聞けないけど」
「ああ、過去の事以外で、会った時は話をしよう」
笑顔で答えてくれるロストに安心し、クリアーは元気な声を出した。
「うん!」
(記憶戻るの先延ばしにしたら、もっと怒られたり、悲しまれたりするかと思ったけど、そうじゃなくて良かった!)
クリアーはそう思ったが、実はロストには、別の思惑があった。
(とりあえず、クレアの私への警戒を解かないとな……なんでも受け入れる優しい奴だと思ってもらえれば、さらに近づくチャンスが増える)
ロストはクレアを取り戻すために、長期での作戦を考えていた。
「あ……じゃあ、ボクはこれで」
「……ああ」
少し寂しそうにするロストに、クリアーは何か、安心できる良い言葉はないかと考えた。
「ま……またね!」
そう言われ、ロストは寂しそうな表情から、やや嬉しそうな表情へと変わった。
「……またな」
互いに微笑み合い、二人はその場を離れた。
(良かった! ちゃんと話せた!)
ロストと仲良く話せて安心したクリアーは、宿に戻る途中、コール達の部屋の窓から、フィックスとブラックが仲良くしているのを目撃した。
(ヤキモチ……か……)
クリアーはまた胸の赤い宝石を握り、窓の外から、フィックスをじっと見ていた。
昼食後しばらくして、クリアーはフィックスと話そうと思い、部屋に向かった。開いているドアから中を覗き込むが、部屋には誰も居ない。
(コールとブラックは外出するって言ってたけど……フィックスはどこかなー? 一緒に行っちゃったのかな?)
廊下に出て、キョロキョロと周りを見ながら、クリアーはフィックスを探した。すると、部屋から離れた場所の廊下に、フィックスは居た。
(あ、居た)
「フィックスー」
「お?」
クリアーはフィックスに、速足で近づいた。
「何してるの?」
「掃除して体温上がったから、風当たりに……俺の部屋、今回、全然風通らねえからさ……」
フィックスは開けている窓の方に向き直り、風を浴びた。髪がサラサラと揺れ、とても気持ち良さそうだ。
「ボクも浴びたい!」
クリアーはフィックスの隣に並んで、一緒に風を浴びた。
「お前……狭いだろ……」
そう言いつつも、狭いので密着され、フィックスは内心喜んでいた。
「…………さっきね……ロストとお話したよ」
「え!?」
フィックスが驚いてクリアーを見ると、相手は嬉しそうに微笑んでいた。
「ちゃんと……お話できた……」
そんなクリアーの様子に、フィックスは不安を感じた。
「……お前はロストと……仲良くしたいのか?」
その言葉に、クリアーは俯き、困ったような顔をした。
「ロストがどういう人かわからないのに、避けるのも変だし……」
「まあ、そうか……」
(コールとの事もあるけど、クリアーはクリアーの事があるし……『千の力』を与えた奴が言ってたコールへの使命とかもあるし、確かに、ロストの事は知っとかなきゃいけないよな……)
フィックスがそう考えていると、クリアーは深いため息をついた。
「でも……まだ記憶が戻るのは、怖いままなんだ……」
クリアーの不安そうな声を聞いて、フィックスは相手の手を、優しく握った。
「焦らなくていいだろ」
「うん……ありがとう……」
そう返したクリアーは、フィックスを見つめ、照れた仕草を見せた。
「え……何??」
なんだかいつもと違うクリアーを、フィックスは不思議に思った。
「フィックスは……ボクと……ずっと一緒に居てくれるんだよね?」
潤んだ瞳で見つめられ、フィックスは動揺した。
「え!? ……あ……おう……まあ……」
いつもなら、保護者だからな、とぶっきらぼうに言ってしまうところをぐっと抑え、フィックスは握っている手に、もう少しだけ力を込めた。
「えへへ! 嬉しい! ありがとう!」
クリアーは笑顔でそう言うと、フィックスに寄りかかった。
(これ……めっちゃ良い感じじゃね!?)
フィックスがそう考えてしまうほどの良い雰囲気の二人に、外出から帰って来たブラックが、窓の外から話しかけてきた。
「なーに二人で窓に挟まってんの?」
にこにこと、笑顔でこちらを見つめるブラックに、フィックスは思った。
(こいつ! 今良い感じなの見たらわかるだろ! 応援するとか言っといて、邪魔すんじゃねえよっ!!)
フィックスはそう思いながら、握っていたクリアーの手を、ぱっと離した。
「別に……」
ものすごく迷惑そうな顔のフィックスに、ブラックは続ける。
「なんでそんな不機嫌なのー」
「知らねえよ……」
フィックスは頭をガシガシとかき、そっぽを向いた。
「もー、そんな態度なら、これ、あげないよー」
そう言うとブラックは、小さな酒瓶を取り出した。
「うお! それ、めっちゃ美味いって噂の酒じゃん! 売り切れ続出であんま手に入んねえのに、どうやって買ったんだ??」
前のめりになるフィックスに、ブラックは瓶を掲げ、満面の笑みを見せた。
「酒場のお姉さんがくれたー☆」
「タダで……だと??」
フィックスは驚き、唖然とした。
「にゃはは☆」
「くそっ! 顔の良い奴は楽でいいよな!」
吐き捨てるように言うフィックスに、手を前後に動かしながらブラックは返した。
「顔が良いと別の苦労もあんのよー☆」
「俺もそんな苦労をしてみてえよ……」
デリカシーがない故に、あまりモテないフィックスは、ブラックを羨ましがった。
「今晩、一緒に飲もうねー☆」
「おう」
クリアーはフィックスの事を見つめながら、二人の会話を静かに聞いていた。
「クリアーちゃんも飲みたい?」
ブラックにそう聞かれ、クリアーは前に二日酔いで苦しんだ事を思い出した。
「ボクは弱いから大丈夫……」
「そっかそっか☆ コールくんも、酒は基本、飲まないからなあ」
クリアーはそう話すブラックをじっと見たあと、一度俯き、再び顔を上げてから言った。
「ボク、自分の服お洗濯しないと……二人とも、またね」
クリアーは窓から離れ、フィックスとブラックを見つめた。
「おう、またな」
「まったねーん☆」
そしてクリアーはその場から、少し急ぎ足で去って行った。
「……なんかクリアーちゃん……最近、棒兄ちゃんをじっと見てる事多くない?」
ブラックの言葉に、特に思い当たる事はなかった為、フィックスは首を傾げた。
「そうか??」
「俺様も見られるけど、なんか……観察してるみたいな感じ」
「観察??」
クリアーが去って行った通路を見ながら、ブラックは真顔で続ける。
「気のせいかもしんないけどね」
「ふーん」
軽い返事をするフィックスの服を、ゆっくり引っ張りながら、ブラックは言った。
「ああいう不自然な時は、あんまり一気に距離詰めない方がいいよ。何考えてるかわかんないし」
フィックスは、ブラックがそんなに色々と考えていた事に驚いた。
「それでさっき邪魔してきたのか?」
「それもあるけど、ここ、丸見えだからね☆」
クリアーと二人きりで、さらに良い雰囲気だった事で、フィックスは周りが見えなくなっていた事に、やっと気づいた。
「そ、そうだな……気をつける……って! 俺も布巾やらタオルやら洗濯しねえと! 間に合わねえ!」
話し込んでしまい、フィックスは家事をしていた事を、すっかり忘れていた。ブラックは掴んでいたフィックスの服を離し、今度は、ポンポンと相手を軽く叩いてから言った。
「頑張ってねー☆」
他人事のブラックに、フィックスは眉をひそめる。
「みんなの分なんだぞ……溜めるとあとが大変なんだから、お前も手伝えよ……」
そう言うフィックスに、ブラックは笑顔で返した。
「また今度ね☆ じゃー☆」
酒瓶だけ渡して、ブラックはまたどこかへ行ってしまった。
「家事したりしなかったり……ホント自由人め……」
フィックスは小さくため息をついたあと、部屋に戻り、洗濯物を準備して、洗濯場に向かった。
宿内にある洗濯場に来たフィックスだったが、人が多かったので、床に座ってあくびをしながら順番を待っていた。
「眠い……」
うとうとしていると、そこにクリアーが再び現れた。
「フィックス」
「ん? お前は洗濯終わったのか?」
そう問われ、クリアーは上を一度見たあと、フィックスに視線を移した。
「人多かったから、一回持って帰ったの」
「それでまた来たのか?」
フィックスのその言葉に、クリアーは目をそらして答える。
「…………うん」
しかし、見たところ、クリアーは手ぶらで何も持っていない。
「洗濯物は?」
「……うん」
「? 何だよ……」
クリアーは目をそらしたまま、フィックスの隣に立った。
「……フィックスってブラックと仲良いよね」
「おん?」
「……」
無言のクリアーを、フィックスは不思議に思った。
(何だ??)
隣に居るのになぜか目を合わさないクリアーの態度に、フィックスはひとつの可能性が思い浮かんだ。
「お前まさか…………妬いてんのか?」
そう聞かれ、クリアーは慌ててフィックスを見た。
「ち! 違うよ! 別に、ボクの方が村に居た時から知ってるのに、ブラックの方が仲良いの、なんかずるいとか思ってないもん!!」
「……そんな事、思ってたのか」
口を滑らせ自白してしまったクリアーは、目を見開いてハッとした。
(観察してたのは、妬いててずっと気になってたって事か……かわいいな、おい……)
そう思いながら、フィックスは少し嬉しくなった。
「……お前より仲良いっていうか……男同士だから気兼ねしないのが、そう見えるだけだろ」
フィックスのその言葉に、クリアーは大きな声で返す。
「嘘だ! だってフィックス……ブラックとお酒飲んだ翌日、いつも機嫌良くなるもん!」
声を荒げるクリアーに、フィックスは淡々と答えた。
「まあ、散々愚痴吐いて、スッキリはしてるけどさ」
あくびまじりに言いながら、フィックスは冷めた気持ちでいた。
(ヤキモチっつったって、どうせ友達取られそうみたいなあれだろ? 恋愛のそれじゃねえよなあ……)
フィックスは先ほど、ブラックに周りが見えなくなっていた事を指摘され、邪魔もされたので、今度は冷静になっていたのだった。
「ボクにしかできない事ってないの!?」
クリアーは前のめりになって言った。
「ええ? 何、対抗心燃やしてんの?」
ニヤニヤしながら、フィックスはクリアーを見る。
「いいからなんか言って!」
こどものようなヤキモチを焼いているクリアーに、フィックスは内心かなり喜んでいたが、表向きは呆れた声を出した。
「えー……」
(面白れぇな、こいつがこんななってんの……ちょっと……からかってやるか)
フィックスは座ったまま、両手を広げて、クリアーを見ながら言った。
「なら……抱きしめさせて」
「え??」
予想していなかった提案に、クリアーはきょとんとした。
「猫とか抱っこすると、癒されるじゃん?」
「……ボク猫じゃないし、それに抱きしめるのはブラックでもできるし……」
そう言われ、フィックスは驚き、叫んだ。
「絵面考えろよ! なんで男同士で抱き合うんだよ! 気持ち悪っ!」
その場面を想像してしまい、フィックスは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「……でもブラックは、よくフィックスに抱き着いてるよね?」
ブラックはテンションが上がった時などに、割と頻繁にフィックスに抱き着いたりしていた。
「俺は返してないけどな……勝手にべたべたしてくるだけで……」
腕を組み、フィックスは迷惑そうな顔をした。
「ボクやコールはされないけど」
「気に入った奴にはスキンシップ多いタイプなんだろ」
フィックスがそう言うと、クリアーは笑顔になった。
「フィックス、ブラックに好かれてるもんね!」
「なんでかわからんけどな……相手からされるのはまだいいけど、俺から男に抱き着くのは嫌なんだよ」
フィックスの言い分を、クリアーは考えてみた。
(頭撫でたりの軽いスキンシップはするけど、抱きしめたりの大きい動きには、フィックスは抵抗があるのかな? ……でも……ボクは……していいって事かあ……)
クリアーは考えをまとめながら、少し俯いて、つぶやいた。
「抱きしめる……か……」
困っているように見えたので、調子に乗ってしまった、とフィックスは思った。
「ごめん、変な事言ったな……忘れてー……」
手を左右に振り、フィックスは横を向いた。しかしクリアーは、そんな相手の目の前に行き、その場に座った。
「え?」
急に目の前に来られ、フィックスが状況を理解できず固まっていると、クリアーは真剣な顔をして、口を開いた。
「フィックス、手、広げて」
「……はい」
言われるままに手を広げると、クリアーはフィックスに、軽く抱き着いた。
(えええ! ちょ! マジでするのかよっ!!)
そう思った瞬間、クリアーのフローラルの香りが漂い、自分の鼓動が激しく、強くなったのを、フィックスは感じていた。



◇第一話から読む◇